シェラ・デ・コブレの幽霊

ADHDでASDで双極性障害2型で不眠。生きてみよう!

楽しい誕生日を過ごさせていただきました

昨日はSNS等でたくさんおめでとう言ってもらって知らない方からプレゼント頂いたり絵を描いてもらったり、同居人がステーキ食いに連れて行ってくれたりケーキ屋さんに付き合ってくれたり(同居人は甘いものを一切食わない)楽しい一日だったのですが

 

20年くらい前の誕生日に川崎駅前で起こったことを書きますね

当時DVでゲームが上手なI君と同居していた私ですが、お互いお金がないので誕生日どこかにいくでもなくゲーセンや道端などふらふらしながらすごしておりました。で、自分は誕生日だから!っていいすぎたんですね。だからなんだよ!みたいなケンカに発展しました。
なんでそこだったのか忘れましたが駅前でとうとうぶちキレたI君が私を殴ったのです。(というか殴られたかどうかも覚えてない)私は予期しなかった出来事にスコーンと後ろに倒れ、コンクリートの床にしたたか頭をぶつけました(もうここから記憶がない)最後の記憶はどこか掴まれたときにカバンにつけてたクレクレタコラのキーホルダーが切れてない?って心配したことです。

 

気がついたら駅からちょっと離れた植え込みに寝かされておりました。
どこもいたくなくてI君がひざまくらをしている。
何が起こったのか全く把握できない。なぜこんなところにいるのか?
「なにがあったの?」
そうとしか聞けなかったのです。記憶が飛んでいました。
どれくらい時間がたったのかもわかんない。
そのうちじわじわと記憶が蘇ってきました。I君も説明してくれたしどうやら自分は殴られて気を失っていたらしい、ということがわかりました。怖いのはちっとも痛くないことです。

「病院に行こう」
I君の提案で川崎でそこそこでかい病院に言ってMRIだかCTだかを撮りました。一人での待ち時間老看護婦さんが一緒にいる男にやられたといったらずっと手を握ってくれて「うちの人もよく私に乱暴したのよ」といって泣いてくれました。仕方ないから、よくわからないけど私も泣きました。その老いた看護婦さんの優しさに泣きました。

まあちょっと出血してる部分あるけど大丈夫やねーって感じで、保険もなかったので4万円かかりまーすって言われました。

保険があっても12000円ですね。

そのとき4500円くらいしか持ってなかったので、4000円置いて「明日保険証を持って来ますので!!」とI君は約束しました。誠心誠意約束しました。
そんなの普通認めないんだけどね~~と気の良さそうなお医者さんは言って家に帰してくれました。
なので普通に仲直りしてお家に帰って寝ました。流石に疲れていました。多分。よく覚えていません。病院にいたときはもう夜だったことは覚えています。気を失って目覚めたときは夕方から夜に差し掛かるくらいだったと思うんですが、結構病院で時間がかかったのでしょうね。

まあその後…ですが
もちろんそのままバックレました。
(今考えると申し訳ありませんが…

 

川崎っぽい話で面白いかなーと思ったけど大したことなかったですね。

クレクレタコラのキーホルダーはチェーンは切れてたけど本体はカバンの中に落ちてた気がします。

それが今までで一番強烈な誕生日記憶なので、何があってもだいたい楽しくてうれしい誕生日です。

 

よかったね。

 

ハッピーバースデー

誕生日が来る

ということは一個前の日記にも書いた
5年も生きながらえたことも

4日に44になるということも
来年にはアラフィフになっちゃうってことも

同居人と2週間ほど11歳違いになる。
うわー。危ない、あと一年違ってたら一回り違うって言われる日が出来てた。でもあれは干支が一周してないと言わなくて良い気もする

日記にキレがない。コミケの当落が毎年よりちょっと遅く発表になる(確か6日)それもなんだか日々をそわそわと生きる原因になっている。

5月病は去ったかもしれないけど梅雨が来る。

梅雨は湿気が苦手は私にはしんどい、しんどい日々。除湿全開の部屋から一歩も出たくない。
元気な人はなぜに元気なんだろう。
こんな感じなのに全く痩せないのも自分の希死念慮に追い打ちをかける。
痩せないから死にたい。

なんだかもう自分の年も忘れてしまうっていうのは、わかるようになってきた。

これから年齢は嘘ついていこうかな
それはそれで辛いな

でも初対面の人に「いくつに見えますか」は本当は聞きたいんだよ

本当はモニターの向こうから聞きたい。

お世辞は思った年から-3歳~6歳くらいが目安だろうか

くだらねえこと考えてないで夏コミの本一冊目の完成を6月中にめざします。っていうかそれは楽勝そうなんだけどそんなに早く仕上げても割引率には限界があるし、もう一冊のオリジナル本のネーム神がおりてこない方が問題ある。

 

あー誰か原作手伝ってくれないかなー。タダで…(打ち合わせの喫茶店とか飲みとかは奢るしもちろん本も渡すけど)結構マジで…

 

 

 

あ、忘れてた しつこく貼るよ!(髪の毛が薄いリストも見えてる?
欲しいものリストです!

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ずっと一番上にあると

自分が参っちゃいそうという勝手な理由で新しい日記を書く

今年ノンストップで絵描いてたから19日のイベント終わったら今月は休もうと思ってたんだけど休み方がよくわからない。寝てるのは好きじゃない。
結局酒を飲んでいる。お酒…お酒はいいよな…お酒…。

なんとなくふわふわしている。来月の頭には44歳になる。

びっくりする。44歳ってなんだよ?
なんなんだよ。
39歳で死ぬはずだっただろ、5年も延命されてる。
来年になったらアラフィフか アラの定義は四捨五入か?

生きるしかないんだよな、生きるしか。

漫画も生き方も「勢いだけですね」ってよく言われるんだけど
このままのスピードで、勢いで突っ込んで行くしかないんだろうな。

 

…6月4日が誕生日です

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例によって欲しいものリストをはっておきます。
よろしくおねがいします

琴葉とこちゃんのことを少し書かせて下さい

書くべきなのか少し迷ったのだけど、少し書かせて下さい。どこかに吐き出さないと心の持ちようがわからない。

私がとこと会ったのはとこが17歳のときで、私は…37歳くらいで、初めて会った時思わず「おっ…おま…私お前を産んでてもおかしくないんだぞ!」と言ってしまった。なんというか失礼である。彼女はすでにメンヘラちゃんの出版をしており、漫画家としては先輩であった。だけどすぐに仲良くなって(と、私は思っている)同じテーブルに座って話をした。冗談でお母さんって呼んでもらったり、同じ皿から肉を食べたりした。スケブを描いてもらったりもした。そこは大きな界隈でいうとカオスラウンジを抜けてきた小林銅蟲さんと琴葉とこがいて、ギークハウスの中だった。それからも絵描き女子界隈でさくらいまちゃんやSAAちゃんと一緒に肉会に呼ばれて何度か遊びに行った。合うたびにとこは大きくなっていて、翌年には大学に受かっていた。通信制の高校に通っていたのだけどかなり(というかすごく!)良い大学だったので褒めたら「私頭は良いんですよ!」って自慢げに言っていた。確かにすごい。すごく真面目だったのだと思う。

それから大学に通いだしてしばらく、うちから2駅のところに引っ越してきて一人暮らしをはじめた。わー!じゃあご飯でも食べに行こうよ!って頻繁に言ってたけど結局果たされなかった。とこはFacebookで彼氏が出来たとか、とこ’sキッチンといって自炊の画像をあげたり、毎日のコーディネート写真をあげたりしていた。どれもものすごく「ちゃんと」しすぎていた。

正直きっちりやりすぎなんじゃないかと心配になった。漫画の仕事も続けていて、ちゃんと自分のことだけじゃなく普通に透明感のある漫画を描ける漫画家にも成長していた。その頃は楽しそうだったけど、でもつらそうに見えることも多かった。だから無理にでもご飯に連れ出すべきだったのかと思うけどそこまで自分は友達ではなかったのだな、と思う。21も年上の人に対してどうするべきかわからなかったのかもしれない。私も21歳年下だけど立派なとこをただ心配するしかできなかった。

それでもコミティアで見かけて話をしたり、TwitterFacebookで交流を取ったりはしていたのだ。

思い出すのはとこが何歳の時系列だったか忘れたが、ギークハウスで遊んでて自分が唐突に鬱に入り込んでしまったときがあって、「帰ります」の一言が言えなくておかしな汗をかいて、人の言葉は耳をすべっていっていた。19時になるかとこが帰るかのタイミングで帰ろうと思ってた時、とこが「じゃあ帰りますー!」といったので食い気味に自分も「私も一緒に帰る!」っていった。途中まで同じ帰り道、とこは私が鬱になってたことを察してくれていたらしい。すごく安心して会話しながら帰った。

 

何を書いてもとこはいない。小夜ちゃんは美化するつもりはないと言ってたけれど、私はまだとこが自殺を隠していた理由を知らない。めちゃくちゃにODしたり大学で取った資格で就職してすぐぼろぼろになったのは知っていたので、ゆっくり療養しているのかと思っていたのだ。でも言われてみれば彼女がそんな長い間入院とか療養しているはずもない。自分もそのあたりの時期わたわたしていたし、頭からとこの事が薄れていたのも正直なところだ。

とこのことについて書くのはこれくらいしかない、私はとこの親友ではなかったのだ。

そしてもう去年の夏にはとこはいなかったのだ。
それだけのことだ。
かわいそうとかつらかっただろうとかそういうことはいいたくない、ただ死んだのだから真に「死ぬほどつらかった」ことは確かで、とこは本当に死んでいった。とこだった人はもう世の中にいない。

 

来週小夜ちゃんにあって話をしてきます。

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なつかしい。

最近の書く気減退がすごい

GWはふたば学園祭のせいもあるんですかね、準備で忙しい前、楽しい祭りの後、やる気がものすごい減退しています。あと書く気で書いた日記を書ききれなくてその1とかに分けたときは2を書く気も薄れてるので1とか続きはあととかしないほうがいい。

とにかく今はダメでこの日記の消滅まで考えているのだけどまた何か書きたくなることもあるとは思うんですよね。

変化がなさすぎるのかな…。

いろいろはじめてみてはいるのですが前準備ばかりで体験やお金に結びつきません。
今後どうしたらいいのだろう…
自己資金は多少あるので今のうちにやるべきなのか、それともひたすら減らないように考えたほうがいいのか

わからないことばかりの人生です

パパ活とか面白いのかなーとか考えてみています。
美人の人生は良いものなのかなーと考えています。
サラリーマンとの2人のご飯、何を話したらいいのか、さっぱりわかりません。
サシめしはよっぽど気が合う人としかできません。

 

関係ないけど治験も跳ねられまくってます。当然か。

 

月にあと2万、収入が欲しい。

平成が終わる瞬間

…一回抜かして特別編、平成と言う時代について…

特に言うこともないんだよね。昭和が終わる瞬間は確か1月2回目の日曜日とかだった気がするんだけど、「うきうきまーけっと」っていう地方同人イベントにいました。帰ったらか次の日だったか忘れたけど平成になってましたね。学校も同じくらいに冬休みが終わって、でも別に「平成w」みたいなことはなかったですね。昭和50年生まれは平成最後の中学校入学生になるのかな?小学校卒業したのが昭和63年の3月だけどあれって年度でやるんじゃなかったっけ?62年度の、3月?
よくわかんないけど本当に昭和の人なんだな、自分。すでに人格形成がされてたという意味で。でもバブルは弾けてたしあんまり恩恵受けずに育ってきたって感じ。

同人に関しては地方イベントにいたという昭和最後の記憶から5月3日礼和に入ってすぐイベントがあるということで、(自分は4月から令和だと思っていたので3月30日のイベントも平成最後かー!とか思っていたけど)とにかく平成はセックス、ドラッグ、ビデオゲーム(と書かれたTシャツを持っている)+同人でしたね。

残念ながら前の3つは礼和には終わるでしょうね…自分もいい年だし。ドラッグはオリンピックで完全にダメになるだろうし、ビデオゲームはすでに死の淵。同人誌も転換期かな…紙本が売れなくてデジタルがちょっとよくなってるとはよく聞く話です。出版に関してはもう死んでるしね。エロだけはなんとかがんばってくれないかな、って感じです。

コンビニにエロ本置かなくなったりAMAZONがLOだけでなく他の雑誌も取り扱わなくなったりとか暗いニュースしかないけど、令和も少しはエンジョイしていきたいですね。

令和…まだ慣れないなあ、というか「平成」にもそんなになじまないうちに終わってしまった感じ。生まれながらのサブカルクソガールなので昭和をまだひきずってしまうよ。

 

令和が良いものになるように祈りたいけどオリンピックあるからもうシット!すでにそびえ立つ糞!天皇は悪くない。誘致したやつら!あとオリンピック終わっても大阪でなんかやるんでしょ?←情勢しらなすぎ もうおしまい。
良いのは全面禁煙の店が増えたことだけだよ!

そんな感じで、今日は一応平成のために飲んでブレイキングバッドみながら年号超えをしようと思います!

 

では

バイバイ平成!

明日は大塚のニュー秘宝館行く予定です、良い令和はじめでは?

小学校から中学校にかけていろんな部屋に侵入していた

変なことをしてたのを思い出した

放課後、いろんな部屋に忍び込むのだ。バレないように。
社会科資料室とか、理科準備室とか、第二図書室とか、普段使わないホコリだらけのものがならんだあらゆる別館の特別教室に忍び込む術を私は持っていた。

おおっぴらにあいてる部屋もあった、そういうところは棚とかロッカーとかを物色したりしていた。そこは先生に出会う確率も高いがごまかしようもあった。そういうのを多めに見てくれる先生もいた。

私は小学校に入った時幼稚園からの友達はほとんどいなかったし、特殊な場所(商業地)に住んでる普通の家だったので、近所に友達も住んでいなかった。実はもっと近い小学校があったのだが線路で学区が分断されていて徒歩4分の小学校でなく徒歩10分の小学校へ行っていた。結果、良かった。徒歩4分の小学校は荒れてるでもなく、なんだかやる気の感じられない汚い雰囲気の学校だった(良く日曜犬を連れて中に入ってアスレチック←これだけがその学校のいいところだった)で遊んだ(そういうことが許されてるおおらかな時代だった)校庭の端は手入れが行き届いてなくて汚かった。

小学校の入学式から失敗したことはどこかに書いてある…と思ったらさわりしか書いてなかったが、まあ母は来なかったのだ。

saxus.hatenablog.com

で、5歳上、要するに私が小1の時小6だった姉が、学校にちょっと早めに行って朝の会が始まるまでの時間、もうひとりの小6のお姉さんと一緒に図書室に連れて行ってくれてくれたり、たまには今日は学校の説明しましょうか、なんて言ってここが保健室よ、職員室よ、展示室(うちの小学校は夏休みは自由課題で、優秀作品が飾られてる部屋があった)は面白いわよ、廊下にも展示があるわ、なんて朝の時間を過ごしていて、朝の会のちょっと前に教室にあらわれるというちょっと変わった子だったのですね。ギリギリになることもあったけど先生が来るのには間に合っていたと思う。

でもクラスの子にしてみれば、Tさん朝いないけどなにやってんだろ?っていうのも小6が2人クラスの前まで見送ってくれるんだから何かしてるんだろうと思っていただろうし、朝のがやがやのコミュニケーションの時間はなかったんですね。

そのうちずるいとか言われたりして。自然にそのうちやるのもやめたんですけど。

掃除の話に続くんだけど面倒になったからその2へ

渋谷中央プラザ飲み会の話でもするか?その2

 

saxus.hatenablog.com

続き

と思ったけど続かない

飲み会には15人くらい集まったのかな?
当時

アレしたやつやコレしたやつ
友達と結婚まで約束したのに破棄になってお金帰してないやつ(創価だった)
私がXXXにXXXXXXXしたやつ
私の元彼と付き合って一瞬3人同居みたいになってたヤツ

とかいろいろね。いろいろ。

でもさ、結局みんな大人になっちゃってんの。
ちゃんと結婚してこども作ってるやつの方が多いし。
ああいうことがあった間柄でもにこにこして近況報告できるし。

一人だけ全く変わらないアホ(いい意味でも悪い意味でも…というか稀に見るアホすぎてどうしようもないので愛すしかない)がいるんだけど来なかったから、なんのアレもなく終わりました。

まー上の元彼とつきあったヤツ、虚言癖変わってなくってイラ💢ってしたくらいかな。
春麗ねーちゃんを自称する(元)今井まきさんはストZERO3世界大会でかの有名なジャスティンを破って8位になったらしい、賞金6.7万しかもらえなかったって言ってたけど。正直この人のプレイ嫌いなんだけど(どのゲームでも春麗だしな…)こども生んどいて最近でもこれ(年結構上だからアラフィフじゃないだろうか)ってすごいなと思いました。

あとなぜか帰りに缶ジュースおごってもらったんだけど、JRにしかないのかな、バニラミルクみたいなやつ。ちょっとそれ以来はまってます!(爽やかに終わろうとしている)

 

まあ単行本のデザインもここのゲーセンで運命的出会いをした子(文通してて、行ってるゲーセンを言い合ったら同じところだった)にやってもらったし。

あのときリュウ同士で戦ったけど2-1で私が負けたよねー。そのあとスト3でも負けてるんだよな…。ヴァンパイアは向こうのほうが断然うまいので負けっぱなし。くやしいなwさすがにお互いその後あんまり格ゲーやってないしね…。

 

 

なんかそう、結局私の青春は高校にはなかったのであそこにあったんだなあと思いました。高校選び、間違えたけどあの頃からASD爆発させてたんだなー。高校の話は置いといて。スト2で人生壊して、スト2エロ同人で人生持ち直す、そんな人生です…。

渋谷中央プラザ飲み会の話でもするか?

と思ったけど気はすすまないので前置きに他の話書きます。
SEKIROは毎日のんびり中ボスとかボス倒すとか鬼仏見つけたらおしまいペースでやっております。今回マップがダクソとかよりわかりやすい…と思いたい(この先どうかわかんないから)のであんまり迷子になって泣かなくてもすんでます。でもやっぱこれよりBloodborneの続編とかやりたいよ。

 

90年代、スト2世代といっても幅広いのでハイスコアガール時代もうちょっと年上だった私ですがちなみにハイスコアガールすごい嫌いなんですけどアニメの出来の良さは褒めるところであってEDの歌詞がすばらしいと思ってるんですが単行本読んでアニメ見てないもつ先生に言ったところハイスコアガール嫌いな私が褒めてるのにわかってくれなくて憤慨したよ。私は純粋にゲームが好きだから男女の話にするのやめてほしいしこないだジャンプでダンスのマンガ書いてた人の4THくらいの古い(重要)MTGマンガがやっぱり女の子強い勝てないいい試合したなマンガで(読み切りの方ね、評判よくて連載になるらしいけど)アーケードゲームとかMTGとかミニ四駆とかをボーイ・ミーツ・ガールマンガにしないで欲しいって言った割にはですね…。

 

私はゲーセンに通うようになったのは中学生のときですが、そのときは大人がよくはしてくれたけど本当にゲームにしか興味のないお年頃だったので…。店員さんがなぜかギャラクシーフォースⅡにクレジット入れてくれたり店長までテトリスにクレジットいれてくれたりしてたけどまあ普通に下手くそ体感ゲーム好きゲーマーでした。

受験があって頭がおかしくなっていました。一応勉強していましたが、自分のクラスの人間は総じて割と躁っぽくなっていました。中の良いクラスだったのですがなんかカリカリしたムードが嫌だったのか、よくわからないですが、中3の終わりの時期に偏差値が下がるクラスってなんだよって怒られました。

ここ、長くなるから後で追加。

 

受験があってしばらくして高校生になってスト2がでて…まあ人生変わりました。

バイトをはじめました
親の金を盗みました
姉の金も盗みました
学校もサボりました

今日はこんなところにしておきますか…。はあ…。タイトルにたどり着くまであと5回くらい書けそうです。

SEKIRO取られてる

もうクリアしてる人もいるかと思いますがSEKIRO、あんまりやっていません。フロムのゲームはいつも遅いんですけど下手なのもあって。まあいいです。同居人に取られています。

私のゲームスタイルは「中ボス倒したらやめる」「新しい仏座みつけたらやめる」みたいな感じで、45分に一回は休憩取って他のことやって、またやるみたいな感じなんですけどそうすると取られるんですよね。で、ずっとやってるから「あ、やりたいんですけど?」っていい出すタイミングがない。別にそんなにやりたいかって言われたら「あー別に後でいいです…」って感じなので引いてしまう。

というわけでお蝶さんでヒーヒーいったまま、放置してあります。

じゃー忍者つながりでSwitchで忍者龍剣伝でもやるかー!ってなったんですけどひどいなこれ!なんで捕まったら離せないんだお前!リュウ・ハヤブサ!!!バカ!
あとSwitch、実は信者多いから言わないけど正直「好きじゃないです」

リンクも傑作だと思うけどさー…。

肩こるねん、この重さ。じゃー画面つなげればいいじゃんってなるけどめんどくさいし携帯機が好きなので携帯したい。でも重い。まあ画面だけ立ててコントローラーでやればいいんですけど。斑鳩やってたとき真ん中のカチってするやつ見つからなくて曲芸みたいにやってた。まあ斑鳩は1コインクリアは出来ないですけどX-BOXでさんざんやったからなー…でも縦画面にロマンは感じるね!

あと、風来のシレンはなんででないの。
あー、話がずれた。
ローグライクゲームはたくさん出てるけど私シレンくんがかわいいからやってる節があるので…あとアイテム名覚え直すのだるくない?あとWizardryやりたくない?出てる?出てないのかな…。FCのに入れてくれって思ったけどあれも版権あるのかな?

 

とりあえず同居人に忍者龍剣伝クリアするまでSEKIROダメの刑に処すかなー。

んー。