シェラ・デ・コブレの幽霊

ADHDでASDで双極性障害2型で不眠。生きてみよう!

琴葉とこちゃんのことを少し書かせて下さい

書くべきなのか少し迷ったのだけど、少し書かせて下さい。どこかに吐き出さないと心の持ちようがわからない。

私がとこと会ったのはとこが17歳のときで、私は…37歳くらいで、初めて会った時思わず「おっ…おま…私お前を産んでてもおかしくないんだぞ!」と言ってしまった。なんというか失礼である。彼女はすでにメンヘラちゃんの出版をしており、漫画家としては先輩であった。だけどすぐに仲良くなって(と、私は思っている)同じテーブルに座って話をした。冗談でお母さんって呼んでもらったり、同じ皿から肉を食べたりした。スケブを描いてもらったりもした。そこは大きな界隈でいうとカオスラウンジを抜けてきた小林銅蟲さんと琴葉とこがいて、ギークハウスの中だった。それからも絵描き女子界隈でさくらいまちゃんやSAAちゃんと一緒に肉会に呼ばれて何度か遊びに行った。合うたびにとこは大きくなっていて、翌年には大学に受かっていた。通信制の高校に通っていたのだけどかなり(というかすごく!)良い大学だったので褒めたら「私頭は良いんですよ!」って自慢げに言っていた。確かにすごい。すごく真面目だったのだと思う。

それから大学に通いだしてしばらく、うちから2駅のところに引っ越してきて一人暮らしをはじめた。わー!じゃあご飯でも食べに行こうよ!って頻繁に言ってたけど結局果たされなかった。とこはFacebookで彼氏が出来たとか、とこ’sキッチンといって自炊の画像をあげたり、毎日のコーディネート写真をあげたりしていた。どれもものすごく「ちゃんと」しすぎていた。

正直きっちりやりすぎなんじゃないかと心配になった。漫画の仕事も続けていて、ちゃんと自分のことだけじゃなく普通に透明感のある漫画を描ける漫画家にも成長していた。その頃は楽しそうだったけど、でもつらそうに見えることも多かった。だから無理にでもご飯に連れ出すべきだったのかと思うけどそこまで自分は友達ではなかったのだな、と思う。21も年上の人に対してどうするべきかわからなかったのかもしれない。私も21歳年下だけど立派なとこをただ心配するしかできなかった。

それでもコミティアで見かけて話をしたり、TwitterFacebookで交流を取ったりはしていたのだ。

思い出すのはとこが何歳の時系列だったか忘れたが、ギークハウスで遊んでて自分が唐突に鬱に入り込んでしまったときがあって、「帰ります」の一言が言えなくておかしな汗をかいて、人の言葉は耳をすべっていっていた。19時になるかとこが帰るかのタイミングで帰ろうと思ってた時、とこが「じゃあ帰りますー!」といったので食い気味に自分も「私も一緒に帰る!」っていった。途中まで同じ帰り道、とこは私が鬱になってたことを察してくれていたらしい。すごく安心して会話しながら帰った。

 

何を書いてもとこはいない。小夜ちゃんは美化するつもりはないと言ってたけれど、私はまだとこが自殺を隠していた理由を知らない。めちゃくちゃにODしたり大学で取った資格で就職してすぐぼろぼろになったのは知っていたので、ゆっくり療養しているのかと思っていたのだ。でも言われてみれば彼女がそんな長い間入院とか療養しているはずもない。自分もそのあたりの時期わたわたしていたし、頭からとこの事が薄れていたのも正直なところだ。

とこのことについて書くのはこれくらいしかない、私はとこの親友ではなかったのだ。

そしてもう去年の夏にはとこはいなかったのだ。
それだけのことだ。
かわいそうとかつらかっただろうとかそういうことはいいたくない、ただ死んだのだから真に「死ぬほどつらかった」ことは確かで、とこは本当に死んでいった。とこだった人はもう世の中にいない。

 

来週小夜ちゃんにあって話をしてきます。

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なつかしい。