シェラ・デ・コブレの幽霊

ADHDでASDで双極性障害2型で不眠。生きてみよう!

小学校から中学校にかけていろんな部屋に侵入していた

変なことをしてたのを思い出した

放課後、いろんな部屋に忍び込むのだ。バレないように。
社会科資料室とか、理科準備室とか、第二図書室とか、普段使わないホコリだらけのものがならんだあらゆる別館の特別教室に忍び込む術を私は持っていた。

おおっぴらにあいてる部屋もあった、そういうところは棚とかロッカーとかを物色したりしていた。そこは先生に出会う確率も高いがごまかしようもあった。そういうのを多めに見てくれる先生もいた。

私は小学校に入った時幼稚園からの友達はほとんどいなかったし、特殊な場所(商業地)に住んでる普通の家だったので、近所に友達も住んでいなかった。実はもっと近い小学校があったのだが線路で学区が分断されていて徒歩4分の小学校でなく徒歩10分の小学校へ行っていた。結果、良かった。徒歩4分の小学校は荒れてるでもなく、なんだかやる気の感じられない汚い雰囲気の学校だった(良く日曜犬を連れて中に入ってアスレチック←これだけがその学校のいいところだった)で遊んだ(そういうことが許されてるおおらかな時代だった)校庭の端は手入れが行き届いてなくて汚かった。

小学校の入学式から失敗したことはどこかに書いてある…と思ったらさわりしか書いてなかったが、まあ母は来なかったのだ。

saxus.hatenablog.com

で、5歳上、要するに私が小1の時小6だった姉が、学校にちょっと早めに行って朝の会が始まるまでの時間、もうひとりの小6のお姉さんと一緒に図書室に連れて行ってくれてくれたり、たまには今日は学校の説明しましょうか、なんて言ってここが保健室よ、職員室よ、展示室(うちの小学校は夏休みは自由課題で、優秀作品が飾られてる部屋があった)は面白いわよ、廊下にも展示があるわ、なんて朝の時間を過ごしていて、朝の会のちょっと前に教室にあらわれるというちょっと変わった子だったのですね。ギリギリになることもあったけど先生が来るのには間に合っていたと思う。

でもクラスの子にしてみれば、Tさん朝いないけどなにやってんだろ?っていうのも小6が2人クラスの前まで見送ってくれるんだから何かしてるんだろうと思っていただろうし、朝のがやがやのコミュニケーションの時間はなかったんですね。

そのうちずるいとか言われたりして。自然にそのうちやるのもやめたんですけど。

掃除の話に続くんだけど面倒になったからその2へ