シェラ・デ・コブレの幽霊

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吉野朔実「瞳子」を読んで 多重構造に苦しみが伝わってくる

 

saxus.hatenablog.com

 これを踏まえた日記となっております。
そもそもこのブログって誰かのために書いてるのではないので…。

Kindleで「瞳子」を持ってはいたのだけどそういえば内容を全然おぼえてないな、と思って、でも狩野の母親の名前は「瞳子」なのでひょっとして母親の話なのか、と思って読んでみた。

瞳子(とうこ) (ビッグコミックス)

瞳子(とうこ) (ビッグコミックス)

 

 これです。
そしたら多分「吉野朔実イヤ期」があって、でも買っておこうと思って買ったもので、実は未読だったことに驚いた。
これは短編集で、瞳子は大学を卒業しても就職せず好きな世界(音楽とか映画とか本とか)に浸っていたくて現実的な母親をバカにしたり怖かったりしていて、男の子2人とつるんでいて(うわ、打ち込んでて気付いたけど少年は荒野をめざすと同じじゃん…文章化してはじめて気付くこともあるんだな)まだ男の人ともうまく付き合えないでいるし、3人組の誰かが女の子と付き合ったらなんか心配になっちゃう。姉とソリがあわないけど姉は複数男性と付き合ってて、ホテルやディナーを楽しんでいる。そんな姉と母にはひどい嫌味を平気で言えたりする自分をちょっとだけ反省したりする、そんな他愛もない短編集。

吉野朔実はあとがきを書かないタイプの人間(だと思うのだが、私が知らないだけかもしれない、連載してたエッセイ?とかは全く読んだことがない)なのだと思ってたのだけど、あとがきがあった。

本当はイヤなんだけど(自分だって自分の作品の一部でも勝手にアップロードされたら嫌だ)読んでもらうのが一番早いしスクショを貼る。

 

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え…自分の話!?
漫画家になれると思ってた経緯も(もちろんメジャーな漫画家とただの単行本一冊運良くだせた同人作家とは大幅に違いつつも)一緒である…
なんか力が抜け、私は号泣してしまった(隣にいた同居人がびっくりして飛んできたくらい)

なぜ自分の話を織り込んである話の主人公が「少年は荒野をめざす」の主人公狩野都の母の名前と同じなのだ!?


仮に、これが本当に狩野の母親だとしたら、このあと漫画の瞳子は紆余曲折あったあと、作家になり体の弱い男性と結婚し、はじめて産んだこども(「少年は荒野をめざす」の都の兄)を12歳で亡くし、次に産んだ7歳下の都は兄の代わりをして生きていることになる。
そして同じように小説を書き、それが死んだ兄のことを「そんな風におぼえてる」ことにショックを受ける。そんなダメな母親が瞳子だ。

どちらも印象深いのが父親の存在。瞳子の父親も、都の父(瞳子の結婚相手)もひたすら優しいこと。きっと吉野朔実もそうだったのだと思う。

この深い深い二重構造を私は理解してしまった。瞳子はかなり後に描かれたもので、しかしこのあと作者は結構すぐ亡くなっている。

 

 

 

恐ろしい話だが、私が深いブラコンになったのは上の日記を見ればわかると思うが

気付いてしまったのだ、すごい偶然性に…
私は偶然は必然というか、引き寄せるのが強い方で、つながりマニアでもあるのですが、こんなときにつながらなくてもいい。

偶然性1

私は去年女装子の本を出した。それはもちろん私の生業としている同人誌で「●学生Y●uTuberちょろかったよ」という本だ。おじさんが再生数の伸びない女装子のYoutuberを金で釣って薬を飲ませていうことを聞かせるという、内容はないが私は楽しんで描いたし、これでオナニーしてくれる人がいて、本を買ってくれて、私はそれで生活している、だけどちょっと主人公の中学生の本名は設定しなかったのだけど、女装ネームは凝りたくて好きな名前にしようと思って、「本来美しいものを見るはずのものが大人の汚いものを見てしまう」という意味を込めて「瞳子」とつけたのだ…

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↑実際の自分の同人誌から。しかもこれを作中呼ぶ必要はほとんどなく、少年の年を法に触れない方法で表そうと年齢を表すだろうという謎の数字と名前をタイトルとして使っているのだ。(しかもこのページに至ってはエロの中にエモさを出そうとして本名もわからない少年がまだおじさんに犯されていない姿の「瞳子」の何気ないスマホ写真、みたいな絵なのだ)なんか、そんなちょっとしたことが、怖い。

男に産まれたかった私が女装子を描いてその女装ネームが偶然「瞳子」だったのだ。
なんか怖くないですか?

今書いていて気付いた偶然性その2

ブログにすると気付いてしまうこともある。今気がついた。うちの兄と私の年の差(まあうちの兄は単なる死産なのだけど)と都と兄の年の差である、7歳違い。一緒である。
そしてもうひとつ、小さなことだけど偶然性その3
姉は生きていて4歳半(学年だと5個)違いなんだが、「瞳子」とは違っていて、私はえらい姉と仲が良かったし、趣味も全く似通っていて、全く同じカップリング(それも相当マイナーな)が好きだったり、今でもスト2リュウが好きだったり、別々に住んでいたのに100円ショップで買った化粧水と乳液とヒアルロン酸が全く一緒(読者にはわからないかもしれないが100円ショップでは化粧水乳液には無限の組み合わせがある。さらにそれにヒアルロン酸を入れて使っていることまで一緒であった。一年はあってなかったのにだ)だったり(ぞっとした)姉の話はまた書くから置いておくとして…今は姉が好きではないこともある…が…瞳子は姉と「声だけはそっくり」なのだ

私は姉と「顔が全然似てない」と言われることが多くて、でも声は本当にそっくり(だと当人らは思っていなかったが)で、この時代に人に伝わるかむずかしいのだが、私の時代は黒電話だったのでよく間違えられ、勝手に私を姉だと思って話をすすめる人にどうやって切り出したらいいか困ったり、思想が似ていたので同じことを同時に発声して「ステレオみたい…」っていわれたりしていた。

 

まあそんなことはどうでもいいのだ。前回あまりにも感傷的に日記を書いてしまったので忘れているが、私は「少年は荒野をめざす」はまちがいなく名作だとは思っている。しかしこの二重構造の苦しみを自分の話、と吉野朔実はあとがきで書いた。

そして私は偶然性マニアであることで上のように勝手に怖がり、自分の苦しみを描いてると思って読んだ瞳子(普通に読んだら面白くないたぐいの短編集だと思う)に思い入れしてしまっている、小さな心の持ち主だ。

 その苦しみをなんともない感じで自分の話です、と書いて彼女は世を去った。

 

 

本物のこじらせはそうやってすぐ死んでしまう。
どれだけ吉野朔実が苦しんでいたかは私は知らない。知る由もないし知りたくもないと思う。それとも全く苦しんでいなかったのか、どこまでが自分の話なのか、もうわかりたくてもわからない。

今は、この時期に「少年は荒野をめざす」を最々々々々々々…読して、瞳子を(実ははじめて)読んで良かったと思っている。

思いっきり前の日記で否定しておいてこれかよ、と思っているかもしれませんが、まあ私はいつもこんな感じです。

 

最近、自分がそろそろ死ぬんじゃないかな、と思っています。日記には書いてないけれど、実は今とても幸せなのです。
素敵な秘密も持っています。

 

では。