関係ない小話から。
姉がハーゲンダッツ食いながら「ピノもアイスクリームなんだよね―」って言われたときは殺意わきました
前も書いたけれど、8月4日は兄の命日。この世に生を受けたのに息できなくって死んじゃったお兄ちゃんで名前もないのだけど。小さな骨は今はうちのお墓に入っている。どういう経緯か何故か母の元になくて、20年くらい前かな?九州から引き上げてきて、遺骨を入れにわりとまだ綺麗なお墓(祖母が亡くなる前に作ったから25年くらい前に作ったんだっけか?)に骨を入れに行った。
なんで私が同行したのか忘れたけど、車の中で遺骨は私に持たされた。
小さな小さな骨壷だった。
私の代わりに、元気に外を駆けるはずの兄だった。兄が産まれていたら、父は男児を欲しがっていたので私は産まれなかったかも知れない。しかも姉もいるのだ。
私は兄が草原を駆けていくところを想像する。
これはあとで「少年は荒野をめざす」という漫画で増幅されたイメージだ。あの漫画は自分にドンピシャすぎてすごくつらい(この話は吉野朔実が亡くなった時にしたはず)
8月4日、お墓に行ってもいいのだけどどうしようかな…実家からさらにバスが捕まらなかったら一時間かかるし、場所をよく覚えてない。実家に言えばいいのだけどもう父は車の免許を返納してしまったので車を出すことができない、となるとかなり面倒。
祈るしかないなぁ。まあいいんだ、お墓なんて飾りだから、忘れないことが大事だと思う。8月4日は、意味はないかもしれないけど花を買いたい。そして祈りたい。
そして6日。同居人は原爆3世だそうだ。うちの父も長崎出身(佐世保だから遠いけど)だから他人事ではない。祈る。黙祷します。もちろん他の日も。
戦争で亡くなったおじいちゃん(ふたりとも)の命日がわからないので毎日祈りを捧げるような感じです
父方のおじいちゃんは進軍ラッパを吹く偉い人だったのですぐに敵に殺された 母方のおじいちゃんは沖縄戦で、母がおなかにいるときに亡くなったということになっています。 ふたりとも本当はもっと生きたかったと思います。祈るしかありません。でもギリギリのところで私は生を受けたんだな、と
前も書いたね、これ…まあ毎年夏はこんな気分だから仕方ないんだ。
終戦の日までは毎日黙祷かな…。これは時間とか決めなくていいから、とにかく祈る、そんな感じの令和元年の夏です。