シェラ・デ・コブレの幽霊

ADHDでASDで双極性障害2型で不眠。生きてみよう!

思い出してしまう_内山さんという女の子

小学校の時、何度かクラスが一緒になった内山さん(仮称)という女の子がいた。色が白くて、ちょっとふっくらしていて、頭は悪くはないけどおっとりしてて、おとなしい女の子だったけれど、どちらかというとそういうタイプだった私は仲が良いというほどでもないが、体育でどちらもあぶれて組を作る程度には仲が良かった。

彼女はおおよそ体育が出来るタイプには見えなかった(実際走るのは早くなかった)が異常に体がやわらかく、立った状態からブリッジが出来た。「すごいね」というと新体操を習っているらしい。あらゆる体のやわらかさと床運動について彼女にかなうものはいなかった。

 

私が通ってた小中学校は公立なうえに持ち上がりではないのだが名前も一緒、隣にある上にちょっと特殊な学校で、教育県である千葉でも、全国で一番偉い校長先生が来るところらしい。おかげで全国に発表するような「今の子供は鉛筆がナイフで削れない!」の元データを取ったり、アンケートがしょっちゅう回ってきたり、教室の作りが特殊だったり、中学に入れば完璧な5分前行動の実施、強歩大会、読書の時間の導入、学校のオリジナル体操(これは2年後青森に輸出されていることを大人になって知る…)一ヶ月に何度かは全国の先生が見学に来ていたりするような学校だった。

あと、地域的に割合金持ちが多くて大体の家は母親がセカンドカーを持ち、家庭教師を雇わせるような家が多かった。プールがあって学校に寄付をしてる家もあったが、皮肉にもその前の汚い団地に住んでる子もいた。コップの底が綺麗になってなかった。が、平均的に一軒家の家が多かった。(ちなみにうちはボロの一軒家だった。前には高架があって家が揺れていた)

 

内山さんは同じクラスじゃなかったときに、学校を休みがちになった。中学になってからだったか。内山さんももちろん私と同じ中学に上がってきていた。

そしてある日校長から伝えられた「彼女が治療法もよくわからない大変稀な骨の病気になった」と。
よく覚えていない。彼女がその場に居たかということとか、全校の前だったのか、とか。彼女にとってそれが了解されたことなのかも。
そして彼女一人のためにトイレに大きめの個室を作ったりすべての階段に手すりをつけたりするということを言った。実際にそれは行われた。

私は3年になってから受験のストレスとホルモンバランスの崩れから熱を出したり吐いたりすることが多くなって保健室にお世話になることが多かった。2年の頃からサボりで行ったりもしてたがマジの保健室も多くなった。

内山さんは保健室登校をしていた。もうひとり体の弱そうな小さいひとなつっこい2年生の女の子もいたが彼女のことはよく覚えていない。
たまにクラスメートに給食を運んでもらって一緒に食べることもあった。
内山さんは前にもまして物静かになっていたけど、暗い感じはしなかった。保健室で食べるメンバーが増えたことを喜んでくれた。
内山さんは彼女のために作られた手すりやトイレを使っていなかった。別にそんなことはどうでもよかったのだけど。

内山さんはいつの間にか下の名前を変えていた。さすがに直接聞くのも失礼だろうともっと親しい友達に聞くと親の強い要望で変えたらしい。親は金持ちだったしなんだか高そうな車で送り迎えされているのをみたことがある。そんなとこまでするほど絶望的にその病気は治らない病気だったんだと思う。その名前を彼女は気に入っていただろうか。小さな声でなにか新しい名前について言ったのを聞いた気がする。漢字書くのが面倒になった、とか書くのが慣れない、とかそんな感じのことだったと思う。

彼女は小学校の文集に新体操の選手になりたいと書いていたはずだ。

 

新しくなった彼女の名前を私は気に入っていなかった。

 

 

彼女がその後どうなったのか知らない。