初めてセックスしたいと思った相手は女の子だった。好きじゃなくて純粋に「やりてー」って思った。小学5年生だったか、クラスにひとりくらいいる胸のでかい女の子。
まだ正しいセックスのやり方もハッキリとはわかってなかったから、その肉体に惹かれただけなのだと思うけどその頃すでに見ていたアダルトビデオでもSMっぽいシーンやライトなレイプのシーンを何度も見た。ほとんど童貞目線で見ていた。やりてぇなー。と。
結局それが自分が受け入れるものだと、受け入れたいのだとわかったのはだいぶ後のことで。生々しい話は避けたいのだが処女膜というものはなぜあるのだろう。早く進化(?)してなくなって欲しい。自分の処女膜喪失話なんぞしたくないのだが、とにかく、とにかく!辛かったのだ。あれを超えないと楽しいセックスがないなんてどうかしてる。どうかしている!!!!(実際調べたくもないがなんであんなもんがあるんだ?)
自分はバイなもんで、と話を進めたもののよくわからなくなってきたが最近わかったことは自分が好きなのは性的不能者らしい。不能という言い方は失礼かもしれないが、性的ドロップアウトというか。そういう人たち。もちろん自分も含めてだ。
今まであってきた人(セックスした人ではない)の中にはいろんな人がいた。男の方が好きだけど女ともセックスする人、ちんちんがでかすぎて苦労してる人、本番じゃどうしてもいけない人、割礼されている人、自分から割礼した人、ドラッグにおぼれている人、暴力をふるう人、パイプカットしている人、相手がふたなりだと妄想しながらじゃないと射精できない人、性同一障害で女装している人、とにかくやりたくて女装してる人、AVを撮影しながらオナニーしてる人、他、いろいろ。
女の子とセックスをしたこともある。最高に気持ちよかったけど女の子にはペニスがない。これもまた性的には不能であるともいえる。
そういう人としか付き合えないし普通のセックスを求めてない。自分は性的に満たされることは難しいらしい。だけど性的に普通じゃないからこそ存在している魅力を求めている。
自分の性別的な苦しみ以外にも性の苦しみがある。私は苦しみの中でしか生きられないようだ。なぜだろう、なぜ難しいルートに入ってしまうのだろう。
もちろん苦しみの先にある大きな喜びにいつかたどり着く瞬間を、自分は待っている。
大変だけど生きていくしかない。
結局のところ、これからもよろしくお願いします。