シェラ・デ・コブレの幽霊

ADHDでASDで双極性障害2型で不眠。生きてみよう!

去年の9月30日の朝に。

去年の9月の最後の日、私は川崎にやってきた。その人は私の手を引いて浅草橋からここに連れてきてくれた。
驚くべきことに会うのが3回目のその人とその瞬間から住み着く予定を持っていたようだ。自分はなんと強かか。

激しい躁だったが初めて上がり込んだ日はさすがに疲れていて寝たようだ。自分で多少薬を持ち歩いていたはずだが、少しもらったかもしれない。朝川崎に着いてからの記憶はあまりない。

しかし次の日から怒涛のように動いている。まずは一番近所のスーパーをMapで調べて行ったようだ。もうこの家で自炊しようとしている。早い。
その次の日には歩いて15分ほどもかかるスーパーまで買い物に行っている(ライフなんだけどここは高いばかりでなにもなくて絶望したおぼえがある)

4日目。20年来の友達の通勤圏内だからと駅前に飲みに行っている、すでに彼に同席してもらっている。
5日目には千葉に帰れないから届け先をヤマトセンターにしてもらった荷物を取りに行き、目についた内科に飛び込んで訳を話して導入剤を出してもらった。

そしてこの間ずっと彼には自分の42年間のすべてを伝えようとしてしゃべり続けていた。

6日目、単行本が出ることになっていたのでそういえばデザインを頼んでた友達が戸塚に住んでいるんだった、と横浜で待ち合わせをして一日打ち合わせと称してお互いの近況報告とデートをする。彼女が乳がんだったりこどもが生まれたことでそれがひどくなったなどの報告を受けたりする。彼女とも22年友達だけど、手をつないで歩いてもらった。「手をつないでもいい?」彼女は独特の照れた顔で「なんで?いいよ」と言ってくれた。

 

さすがにこの辺になってくると躁も落ち着くかと思いきや5日目の未明に自分は生まれて初めての自傷をする。多分マイスリーで酩酊しておかしくなってしまったのだろうと思うけど自傷とかものすごく嫌いでありえないので自分でもよくわからなくなっていたんだと思う。これだけは今でもよくわからない。傷は浅かったけどまだ残っている。

8日目予約していたけものフレンズのイベントを多忙と遠さ(幕張だった)でキャンセル、というかかわりに他の人にいってもらう。ちょっと泣いた。
しかし9日目にけもフレイベントで上京してた友達とどうしても朝ごはんくらい食べたくて渋谷だかで朝ごはんを食べていたらいつの間にかもう一人合流してサーバルキャットの檻の前に居た。これは日記に書いたと思う。ここで何となく人間性を取り戻した記憶がある。

9日目は立川に友達に会いに行っている。こんなに自主的に動くのは多分生まれてはじめて。しかしまだ川崎にいるんか!と思われてもおかしくない、というかおかしい。

 

どのタイミングだったか、彼に何回かさすがに聞いた。
「帰りたくないんだけどここにいていいの?」
返事は
「もちろん」
だった。

「いいよ」とか「うん」とかじゃなくてその言葉を選んでくれたことに感動した。私の辞書にはない返事の言葉だった。

 

そんなこんなで10月15日まで川崎にいた。確か16日になんらかの〆切があって(川崎にいる間もタブレットパソコンで作業はしていたのだが)どうしても自宅作業をしなくてはいけなくて、しかも千葉での同居人が青森から二か月ぶりに帰ってくるので最低限の片づけ(家は荒れてひどい状況だった)をしなくてはいけないというギリギリの期日だった。千葉の同居人に今は川崎に居たいことを速攻伝え17日中には川崎に戻ってきている。なんという速か。

 

記録を残しておきたかったため書いたのでオチはないけど人生最速がでてたんじゃないでしょうか、私の10月…。タイムライン機能本当に便利ですね。ちょっと怖いけど。
先日見返していたら自分でも全然おぼえてなくて「!?」ってなりました。っていうか単行本の表紙は当時は千葉にあった液タブでしか作業できなかったはずなんだけどいったいいつ描いていたのだろう…あとがきとかカバー下は不自由なタブレットパソコンで川崎でやったのですが…。15日から17日は確か一睡もできなかった。40時間くらい作業してた気がする。(ログ見たらちょっと昼寝挟んで60時間だったとある…予定になかった表紙の直し、あと校了がものすごく大変だったけど超こだわってやったのでセリフの間違い等はないはず。他にいろいろやらかしてるけどな!)